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#385 「テレハラ」対策 サボり前提にした制度を作れば監視も不要

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在宅勤務は上司から成果を厳しく求められる傾向にある

 コロナ自粛が明けても社員の在宅勤務を推奨して継続する企業は多いが、そこで大きな問題となっているのが、働いている姿が見えないことで起こるパワハラだ。「テレハラ(テレワークハラスメント)」なる新語まで生まれる中、組織論を専攻する同志社大学政策学部教授の太田肇氏が、テレハラ防止の処方箋を示す。

 

新型コロナウイルス対策としてテレワーク、リモートワークが普及するとともに、「テレハラ(テレワークハラスメント)」、「リモハラ(リモートハラスメント)」という新語が生まれた。

 テレワーク中の社員からは、「いつも見張られている感じがする」とか、「以前より頻繁に報告を求められるようになった」、「常に回線を接続しておかなければならない」といった不満が聞かれる。

 一方、管理職の側には、「部下が仕事をサボっていないか不安だ」と口にする人が多い。最近はテレワーク中のパソコンの内部を覗いて、どれだけ仕事をしているかをチェックするシステムも普及しているという。そこまでいくと、もはやストーカーのレベルだ。

 こうした現象を目の前にして、「テレワークは性善説に立たなければ機能しない」と忠告する人もいるが、果たして性善説に立てば問題は解決されるだろうか?

 思うに上記のような管理職の行動は、管理職自身に問題があるのではない。実際、だれかがサボれば、他の人にそのしわ寄せがいく。また性善説のもとで信頼を裏切る部下が現れたら、「正直者が馬鹿を見る」とばかりに、他の部下までサボり出すかもしれない。性善説は、それが裏切られたとき対処不能になる。だからこそ管理職は、部下が頑張っているかどうかをチェックしなければならないのだ。

 要するに「テレハラ」の根本原因は管理職の意識や姿勢にあるのではなく、組織と仕事の仕組みにあるといえる。そもそも従来の組織と仕事の仕組みは、テレワークに適していないのである。

 

成果主義の大いなる“誤解”

テレハラ」防止に最も有効な解決策は、社員がサボってもよい仕組みをつくることであり、その意味では性善説より性悪説に立つべきだろう。

 サボってもよい仕組みとは、仕事へのインプット、すなわち仕事ぶりを問わないかわりに、アウトプット、すなわち仕事の成果を厳しく問う制度である。

「成果を厳しく問う」というと、かつて流行した成果主義を連想する人が多いと思う。そして厳しいノルマを押しつけられたり、成果をあげるように煽られたりする、別のタイプの「テレハラ」が起きるのを心配されるかもしれない。

 しかし、そこには誤解がある。「成果を問う」マネジメントには、高い成果をあげて大きな報酬を得るタイプと、一定の成果をあげることが求められているタイプとがある。一般に欧米企業では、少なくとも非管理職の場合、後者のタイプが主流で決められた成果、あるいは契約した役割を果たしさえすればよい。成果をあげて「稼ぐ自由」より、成果をあげている限り「サボる自由」があるといえよう。

 アメリカのグーグル本社には敷地内にゲームセンターやプール、テニスコートなどがあり、昼間でも社員が自由に利用している。欧米だけではない。中国のIT系企業を訪ねると社員が床に寝転がっているし、日本の外資系証券会社で営業の仕事をしている私の知人は、夏場は毎日自宅で昼寝をし、冬はスケートに興じていた。

 ただ、成果をあげているか、役割を果たしているかどうかで評価するためには、一人ひとり仕事の分担が明確になっていることが重要なポイントになる。

 今回のコロナ禍でも、仕事の分担が明確になっている企業ではテレワークへスムーズに移行している。同じ業種でも外資系企業で比較的問題が少ないのはそのためである。またテレワーク導入を機に雇用から業務委託契約に就業形態を切り替えたケースもあるが、遠慮なくサボれるのでストレスを感じず働けるようになり、生産性も上がったという声もある。

 

◆「川下の原則」を徹底する

 もちろんすべての仕事をアウトプットで評価することは難しいし、一人ひとりに仕事を分担させることが困難な場合もある。それでも「テレハラ」につながるような監視をしなくても済む仕組みや工夫はある。

 ひとつは、「成果につながるプロセス」を見ることだ。以前、アメリカ、イギリスの大企業で人事評価について調査したとき、同じ「プロセス重視」でも日本企業とは着眼点が違うことに気づいた。

 日本企業では「プロセス」の捉え方があいまいであり、どれだけ残業しているかで評価するような管理職もいる。それに対しアメリカやイギリスの企業では、開発がどの段階まで進んでいるか、取引先との契約がどこまでまとまりかけているか……というように成果に近いところでプロセスを評価する。

 もうひとつは、それとも関連するが態度より貢献をみることである。例えば、突発的な仕事を誰が担当したかとか、企画案の作成や意思決定にどれだけ貢献したか、また誰がどのプロジェクトに参加してどんな役割を果たしたか、などを日報に記録する。それをネットでメンバーが見られるようにしておけばよい。このように客観的な貢献度に注目することで仕事ぶりを監視する必要が減り、評価の透明性も高まる。

 私は、その人に求められている仕事の成果や果たすべき役割に近いところを「川下」、そこから離れた仕事に対する態度や姿勢などを「川上」と呼んでいる。「川下」で評価すれば「川上」は本人の裁量に委ねられるので、サボっているかどうかを監視する必要はない。

 ところが多くの日本企業は、かつての成果主義に対する反省もあって「川上」で評価する傾向があり、社員の側も成果だけでなく努力も見てくれると歓迎する声が多かった。それが今、“努力や頑張りの監視”という形で裏目に出ているのである。

 努力や頑張りそのものに価値があるわけではない。仕事で成果をあげ、役割を果たすことこそ大切だという原点に返ることが、「テレハラ」の防止につながるはずだ。