コストライフの防災ブログ改め「新しい生活様式(New Life Style)」ブログ

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#344 テレワークで試される“本当の能力” アフターコロナで「落ちこぼれる会社員」が分かってきた

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テレワーク(イメージ)

 コロナ禍が収まりを見せない。4月7日に緊急事態宣言がなされて以降、多くの企業がテレワークでの業務を余儀なくされた。現代の勤労者の多くが所謂事務系ワーカーである。この事務系ワーカーの毎日は、電車に乗って会社まで「通勤」をするという生活スタイルだ。政府や自治体が「自粛」を要請したのが、この「通勤」という行為に対してだった。

 

「みなさんお仕事は自宅でなさってください」東京都の小池百合子知事は女性らしいやさしい声で、そしてキャスター出身らしい滑舌の良さで都民に対して訴えかけた。

 

テレワークに戸惑いつつも「意外とできてしまった」

 こうした呼びかけに対して、当初は多くの企業が戸惑いをみせた。曰く、「パソコンだけで仕事が完結するわけがない」「営業はお客様とお会いすることが基本」「毎日社員が会社に来なければ管理ができない」「うちは情報管理上、社員に自宅で仕事はさせられない」などというもの。

 もちろん、仕事には自宅ではできない職種のものも多数存在する。だが日本の多くの勤労者は、会社に通勤してパソコンなどの情報端末を使って業務を行うことが一般的な就業形態になっている。そうした意味では、勤労者の多くが働き場としているオフィスを離れて自宅でお仕事を、といったアナウンスは適確なものだったといえる。

 では実際にテレワークの実施を余儀なくされた多くの会社では今、どんな変化が生じているのだろうか。結論としては、「意外とできてしまった」という声が多く聞かれる。

 

日常業務の“無駄”がかなり排除された

 これまで、社員が机に座って仕事をする。そしてその社員を管理職が管理して業務を効率的に推進することが、会社における日常であった。ところがテレワークになると、気軽に社員に声をかける機会は明らかに減少する。しかるに社員一人一人に事前にかなりこまかく業務内容を指示する必要が生じる。今日はどの業務をどこまで仕上げる、そしてその結果を何時までに完成させ報告させる……。

 日常の会社の場では社員同士のおしゃべりも多い。会議でも無駄話が大半を占めることがある。ところが、テレワークにしたことでこうした無駄がかなり排除されたとの声が多い。つまりテレワークでは、多くの会社での業務がかなりシステマティックになったということだ。

 社員の側はどうか。なんといっても通勤からの解放は日常における大変革だ。朝起きて天気を気にしながら駅まで向かう必要がない。満員電車で不愉快な思いをすることもない。上司の顔を気にしながら仕事しなくてもよい。ましてや夜、上司や先輩、同僚の「ちょっと一杯」に付き合う必要もない。通勤着も着ないでよい。一日の業務が終われば、アウトプットを提示すればおしまいだ。パソコン閉めてさあおしまい。そのままベッドに寝転んでゲームをやる、YouTubeを見る。なんだかよいことずくめだ。

 なんだ、結構できるじゃないか。でもいっぽうでこうした働き方の「変更」は、企業の側にもそこで働く勤労者の側にも、実は大きな変化をもたらしているようだ。

 

社員の“本当の能力”がバレている

 まずは企業側の声。社員一人一人のタスクを明確にし、日々のアウトプットを提出、報告させるようになった結果、社員個々の仕事上の能力がはっきりわかるようになったという。

 これまでは一つの部署で複数の社員が机を並べて働いてきたが、一日の終わりに会議をしても、全体の業務の進行の確認をする際に、いちいち一人一人の業務内容をチェックすることは少なかった。ところが社員一人一人が分離独立するテレワークでは、各社員のアウトプットに目を通すことで全体の業務進捗を確認できるようになったことから、意外なことに「働きが悪い」社員と、会社では目立たなかったのに非常に「効率よく」仕事する社員との違いが明確になったとの声が聞かれる。

 テレワークは社員が自宅で仕事することから制約も多い。日本の住宅事情がテレワークのような生活を想定してこなかったこともあり、自宅で独立した書斎を持っている社員はほとんど存在しない。したがって仕事場は、その多くがリビングダイニングということになる。

 自宅におけるリビングダイニングはオフィスビルでいえば共用部のようなもの。家族全員が集まってくる場であることから、就業中も休校で退屈しきった子供が抱き着いてくる。いつもは夜まで帰ってこないのに昼間もいることで、ペットの犬が喜んでじゃれつく。現代家庭では夫婦共働きのところも多いので、日ごろは交流の少ない昼間に夫婦の接触が増える。その結果として無用なトラブルまで勃発する。

 
ついついお昼のワイドショーを見てしまう

 会社からの監視の目が届かないことによる誘惑も多々ある。ちょっと合間にネットを見る。テレビのニュースを見ている間に、いつのまにかお昼のワイドショーまで見てしまう。座り疲れて近所の公園を散歩してつい時間をつぶしてしまう。結果として、適当に作業だけして会社に送信する。まあいいや、今日はこれでおしまい。

 会社からみれば社員の今まで見えてこなかった能力の確認ができる。社員からみれば通勤して机に座らなくても給料がもらえる。コロナ禍による全国テレワークお試しキャンペーンは、このように会社と社員との関係を見直すきっかけになる可能性が高いのだ。

 さて、こうしたお試し期間はコロナ禍が終息すればいったん終わるのだろうが、その後、会社での働き方はどのようになるのだろうか。コロナ禍は一瞬の社会的なトラブルとなって、また以前のような通勤風景に戻り、人々は何事もなかったように会社の門をくぐるようになるのだろうか。

 

「社員を囲い込むコスト」に会社側も気づき始めた

 答えは否である。というのはテレワークで「かなりの業務ができる」ということが判明したという事実は、日本人のライフスタイルを大きく変えるきっかけになりそうなのだ。

 会社にとって社員を囲い込むという行為は多大なコストを要する。従業員の通勤代について、多くの企業がその実費を負担している。そして会社の門をくぐってくる社員たちに対して会社は、働く場であるオフィススペースを提供している。

 オフィスは東京都内であれば、平均でも1坪あたり22,000円程度の負担を余儀なくされる。丸の内や大手町なら50,000円を超える。どちらのコストも会社にとってはありがたくない固定費だ。この経費に比べれば、社員一人一人にパソコンを支給し、通信コストのみを負担するほうがはるかに安上がりというものだ。

上司や部下に煩わされることもない

 社員が集まってこなければ、社員同士の飲み会やら懇親会やら、福利厚生費用の支出も抑えられる。通勤途上で発生するかもしれない事故などの労災のリスクも軽減されるだろう。

 都心の本社にはヘッドクォーター部分のみを残す。経営層も一つのフロアに全員が集合しているのは、またコロナのような感染症が発生すると大きなリスクになるので東京や大阪、名古屋などに分散し、経営会議もなあんだ、web会議でやればよい。

 社員のほうにも気づきがあったはずだ。あれ? 俺はパソコンだけで会社とつながっている。自分の能力は変な上司や言うことを聞かない部下なんかに時間を使わなくても、こうやってちゃんとアウトプットを出すことによって評価されるんだ。ということは、自分のこの能力を何も一つの会社だけに提供しなくてもよいのではないか。複数の会社の業務を直接受注して自宅で仕事すれば、食っていける。一つの会社に滅私奉公しなくても自分で生きていけるんだ……。

 
“コロナ後”に確実に落ちこぼれる人

 これからの10年間ほどで、おそらく会社での働き方は大きく変わりそうだ。これまでは大学をでたら「就職」をすることがあたりまえだった。そして日本人の多くが「会社」という組織にまずは入門することが前提だった。つまり良い会社、安定した会社に入ることが「仕事をする」ことと同義だった。

 しかしコロナ後は、個人が複数の会社と業務委託契約を締結して働く。つまり自らの能力を売る、職能で働く時代に変わっていくことを意味している。そしてそうした能力を磨いてこなかった、あるいは能力がなかった人は社会から確実に落ちこぼれていく。つまり、会社という安寧の仕事場は確保されなくなるのだ。

 安倍政権では平成30年、働き方改革をスローガンとして掲げた。この政権は毎年のようにスローガンを掲げてきたが、今や猛威を振るうコロナ禍への対応に振り回され、いつのまにか働き方改革の旗印も他のスローガンと同じようにお蔵入りする気配が濃厚だ。

 だが実は働き方はスローガンで変わるようなものではなく、コロナのような圧倒的な社会的圧力を通して一気に変わっていくものなのだ。

 

世界は「クリエイティブワーカーの時代」に突入する

 人は原始の時代から働いて生きてきた。狩猟時代は弓矢を操るのが巧みな働き手が中心だった。農耕時代には作物を育てる人が働き手の中心だった。そして産業革命により働き手の中心は工場労働者へ、そして戦後は事務系ワーカーが働き手の主力を形成してきた。

 これからはおそらく、個々人の能力をパソコンなどの情報通信を操りながら売り込む、クリエイティブワーカーの時代に移行する。

 その時代はどうやら現実として確実に到来することになりそうだ。そうなれば世の中から通勤はなくなるだろう。通勤がなければ大型のオフィスも存在価値を失うだろう。人々が住む場所も変わるだろう。

 働き方改革どころではない、私たちは新たなる時代への入り口に立っているのだ。